必然なこと。
あるちゅーはいむは、ながーいおつきあいをしてる病気があります。それは鬱。
人生半分以上のおつきあいなので、本当の自分は
どんなんだったっけ?
こんなネガティブだったっけ?
人生について希望があったはずなのに、突然、
漠然と、何のためにうまれてきたんだろう…
と、もやもや、心が落ち着かなくなりました。
今思えば、当時、思春期特有の情緒不安定だったんだろうけど、その辺りから鬱っぽくなりました。
高校1年の夏休み明けだったと思います。
けれど、その気持ちをなるべく紛らわし、ごまかしごまかし、心の奥にし舞い込んでしまった気がします。
今みたいに鬱はポピュラーではなかったし、イメージも良くなかった。思いきって親に相談しようとしたけど、そんなこと考えたこともないわ、気の持ちようよ、位に軽くあしらわれてしまった記憶があります。
本当は行きたくないけど学校にもきちんと通い、大学に行けば何か変わるかもと懸命に勉強しました。
そして、大学生になったけど、やっぱり心の中は空っぽ。無理して笑って、周りに合わせてしてみたけど、ますます、病んでいきました。
大学二回生のとき、メンタルクリニックに初めて独りで行きました。
本当の自分を出さずに抑えて、大学時代、暗黒時代だった~・゜・(つД`)・゜・
泣くこともできなくて、感情が無くなった感じ…笑えない。
大好きなダウンタウンの番組を見ても、全く笑えない。
鬱は誰もがなると思うけど、ほったらかすと、目に見えない分、酷くなりますね。
けど、鬱になって、教えられたことも沢山あります。私はどちらかと言えば、小さい頃は我がつよく、竹を割ったような性格で、白か黒と物事を決めがちな勝ち気な子だったようで。クラスでも委員長とかやっちゃうタイプでした。親がとにかく勉強に力を入れていて、私がクラスで百点取ると自慢してたそうです。思ったことははっきり言いなさいと育てられた気がする。
正直、母親はあまり好きじゃなかったなあ。
今は親の大変さも解るから感謝してますよ(*´∀`)
今だから相手の気持ちとか、自分が良かれと思ってしても単なる押しつけだったりするんだなあとか、色々気づかされます。
色んな障害を持って、わざわざ生きづらい身体を選んで生まれてきてる人を見ると、
(私は人は生まれてくる前にある程度自分のことを決めてきてると思っているので)
頑張ってるな♪私なんて、まだまだ未熟者~と実感させられます。
鬱にならないとスピリチュアルとも出会ってないし、必然なことだったんだろなぁ。